四川省は茶のルーツとされる雲南省にほど近く、漢人はそことの接触により茶の存在を知ったと考えられる。ただし雲南においては茶は草として食べられるものであり、それを湯に入れてだし汁を飲むように改良したのは、煎じ薬の伝統を持つ漢人であろう。
喫茶文化は、四川から長江を下って次第に広がり、魏晋南北朝時代には長江流域で楽しまれたとされる。さらに唐代では長江流域が大規模に開発され、その物資が大運河を通って華北にももたらされたことから、茶の栽培が盛んとなり、庶民の間にも広まった。長安・洛陽では喫茶店が立ち並んでいたと言う。あまりに広く流通したため、唐後期になると茶は政府の専売とされ、その財政は唐王朝を支えた。
茶は薬用として禅宗の修行に用いられていることから僧侶が関わっているとみられる。かつては栄西によってもたらされたのが最初と考えられていたが、最近の研究によればすでに奈良朝の頃伝来していた可能性が強い。ただし古代に伝わった茶は纏茶(てんちゃ)であったと考えられる。「続日本紀」では、弘仁6年(815年)の嵯峨天皇の近江行幸の際、唐から帰朝した梵釈寺(滋賀県大津市)の僧永忠が茶を煎じて献上したと記されている。だが、平安時代に入って文化が、純和風に変わりつつあったと同時に、茶も次第に廃れていった。茶の栽培は栄西が中国から茶の苗木を持ち帰ったのが最初と考えられていたが(そこから日本に喫茶の習慣を広めたとされた)、空海や最澄も持ち帰り栽培したという記録がある。(wikipedia参照)